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はじめに:年間1,000のお産を支える現場で

こんにちは、メディカルチーム助産師の近澤です。
私たち日本人助産師は、ジャパンハート病院に隣接するポンネルー病院の産科病棟で、現地のカンボジア人助産師たちと一緒に日々を過ごしています。年間1,000件を超える命の誕生を迎え、大抵はお母さんと赤ちゃんが一緒に笑顔で元気に家に帰っていく――そんな自然で温かな日常がそこにはあります。
しかし、私の1年間の活動が半分を過ぎようとしていた頃、私の心に永遠に刻み込まれることとなった、決して忘れることのできない出来事が起きました。

ジャパンハート カンボジアの医療体制と向き合い、未来の命を繋ぐ

1. 破られた静寂と、車椅子に滴る血
その日は朝から患者さんもおらず、どこか穏やかでゆっくりとした時間が流れていました。しかし、その平和な静けさは、一人の男性の叫び声によって一瞬で打ち砕かれました。
血相を変えて走ってきた男性がカンボジア語で叫んでいます。「お腹が痛くて出血している」
――その言葉に、私たちは陣痛が始まった産婦さんが来るのだと思い、入室を待っていました。

しかし、運ばれてきた姿を目にした瞬間、現場の空気が凍りつきました。車椅子にぐったりと座っている、お腹の小さな女性。そして何より私がぎょっとしたのは、車椅子の車輪の脇から、ぽたぽた、ぽたぽたと絶え間なく床へ滴り落ちる鮮血でした。

急いで分娩台へ上がってもらい下着を外すと、そこにはすでに外に出てしまっていた在胎20週ほどの小さな赤ちゃん。流産の現実を突きつけられたのも束の間、本当の恐怖はそこから始まりました。いくら引っ張っても、いつもなら自然に出てくるはずの胎盤が出てきません。「癒着している」
――直感が警鐘を鳴らしました。

2. 混乱の中で握った主導権と指示出し
現場に緊迫とパニックが走りかけ、飛び交うのはカンボジア語のみ。この患者さんが何週なのか、どれほどの血を流してどういう経緯でここへ来たのかすら分かりません。止まらない出血と、剥がれない胎盤。薬のアンプルを割る私の手は、恐怖と不安で震えていました。
『でも、私が取り乱しては邪魔になるだけ。私が逃げたらこの患者さんは助からない』
必死で自分を抑え込み、自ら主導権を握ることを決意しました。手の空いている現地スタッフへ次々と声をかけ、生体モニターの装着を指導し、難易度の極めて高い点滴ライン2本を無事に確保させました。モニターに映し出されたバイタルサインは紛れもないショック状態。朦朧とする意識の中でも呼びかけに反応する患者さんに、手の空いた人たちで何度も声をかけ続けました。私は冷静に誰が何をどこまで完了しているのか全体の動きを把握しながら動きました。

3. 1時間を争う搬送、車内の闘い
駆けつけた医師の診断は、過去の帝王切開創部に胎盤が固着した、極めてハイリスクな「癒着胎盤」。しかしポンネルー病院には輸血設備がありません。輸血ができる大きな病院は、都市の中心部に限られているのがカンボジアの厳しい現状です。
すぐに医師、現地の助産師、私の3人で救急車に乗り込み、約1時間離れた首都プノンペンの国立病院へ向かいました。何度も通ったはずの道が、この時ばかりはあまりに遠く感じられました。渋滞で車が徐行するたび、焦りで胸が押し潰されそうになります。
車内でも止まらない大量出血。紙おむつが真っ赤に染まり、DIC(播種性血管内凝固症候群)を起こしているのは明白でした。低下していく血圧、跳ね上がる脈拍。私たちは自分の揺れや酔いなど全てを忘れ、点滴のボトルを握り潰し、少しでも止血できるように拳で腹部を圧迫する大動脈圧迫法を続けました。「お願いだから、はやくついて」
――ただそれだけを祈り続けながら。

4. アウェーの現場での決意と、突きつけられた壁
搬送先に到着したとき、さらなる衝撃が私たちを襲いました。事前連絡を入れていたにもかかわらず、駆け寄ってくるスタッフは一人もいません。日本の救急外来を想像していた私の頭の中はハテナでいっぱいになりながらも、自分たちで患者さんをストレッチャーに移乗させました。
現地のスタッフにECGモニターの装着を促すと、「やり方が分からない」と言われる愕然の事態。『これが今のカンボジアの国立病院の限界なんだ。』と感じました。『このアウェーな環境でも、自分がコマンダーになってでも、指示を出すしかない』と自らに言い聞かせました。
しかし、輸血結果を待つ間に状態は刻一刻と悪化し、ついに心肺停止状態(CPA)に。大きく声を張って胸骨圧迫を開始させ、アドレナリンの準備を指示しました。しかし、集まってきた現地のスタッフたちの対応はバラバラで、リーダーもおらず、胸骨圧迫のテンポも深さも効果的ではありません。「点滴が取れない」と諦めモードになり、止血処置も行われないまま、悲しさと悔しさの中で、助けられないという残酷な現実を悟らざるを得ませんでした。

5. 残された家族と、消えない後悔
旦那さんに病状説明がなされる際も、医療陣は淡々と事実を告げ、泣き崩れる旦那さんを残して速やかに立ち去ってしまいました。朝までは元気だった愛する妻を突然失ったご家族の痛みを思うと、あまりにも残酷な現実に心が痛みました。
帰りの救急車に乗り込む際、外で亡くなった患者さんに駆け寄り涙を流す若い女性の姿がありました。乗り込めるのは旦那さん一人だけだと説得され引き剥がされていたその女性は、後に旦那さんから4人の子どもがいると聞いて、一番上の長女さんだったのかもしれないと気づきました。「周りを説得して荷物をどけて、少しでもスペースを作って無理やりにでも一緒に乗せてあげればよかった、家族の時間を作ってあげるべきだった」
――その時の後悔は、今でも私の胸の中に強く残っています。
カンボジアの医療体制と向き合い、未来の命を繋ぐ
6. 悲しみを乗り越え、風化させないための現場改革
今回の症例は元々救命が極めて困難であったとはいえ、病院の体制、そして私自身の立ち回り方を含め、山のような課題を突きつけられました。ひとりの力ですぐに改善できるわけではない課題も認識しました。しかし、泣いて悲しんでいる暇はありません。「もし次同じことが起きたら、もっと良い医療を届けるためにどうすべきか」
――私はこの経験を風化させないと決め、現地医師と何度もディスカッションを重ねました。ポンネルー病院の医師からは、搬送先の病院と一緒に振り返りを行ってレポートにするということも教えてもらいました。

私もカンボジアのガイドラインをもう一度勉強しなおし、日本のガイドラインなどを見ながら活かせるところがないか考えました。同時期に活動している他の日本人助産師や、ジャパンハートの日本人医師に助言を求めたりもしました。みんなが一緒に考えてくれました。
カンボジアの医療体制と向き合い、未来の命を繋ぐ
また、カンボジア全体で救急蘇生法(ACLS)を学ぶ機会が不足している課題を痛感し、ジャパンハートの病院で実施している継続的なトレーニングの機会が、今後さらにカンボジア全土に広がっていけばいいなと思います。

おわりに
「搬送できれば一安心」ではないという厳しい現実を知ったからこそ、いま私たちがここでやるべきことが明確になりました。カンボジアの母子の命を守るため、一つひとつの課題から目を背けず、これからも現場からの改革を続けていきたいと思います。
カンボジアの医療体制と向き合い、未来の命を繋ぐ
助産師
近澤