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【災害支援・対策(iER)】二回目の能登中長期支援に参加して
4月に続き、半年ぶりに能登の中長期支援に参加しました。秋の輪島の空は高く透きとおり、夕焼けが一段と美しく門前の街並みと日本海を染め上げていました。
今回も2日間の日程で、仮設住宅と在宅を回りました。半年前に比較して仮設住宅に残る人は減り、病状としても問題を抱えはするものの、地元の医療に接続している人が増えた印象でした。いわゆる放置された慢性疾患などはあまり見かけず、またもし本人が病院へ行かなくとも、家族や支援団体が現況を掴めているシステムが構築されていると感じました。
半面、仮設から在宅に戻ったことで、孤立する事例も出てきているようです。今回訪問した在宅の方は、交通手段に乏しく病院へアクセスし辛かったり、閉じた家族関係の中で夫婦ともに病状悪化があるものの相談相手が不在であったりと、社会的困難事例とも言うべきケースでした。
今回の活動ではそのような方に対して、エコーを用いて医学的評価をしたり、緊急で処置を行い地元の病院へ繋げるような機会を頂けました。何かお役に立てる部分があったとしたら、ありがたいことでした。
今回の活動にあたり、事前に掲げた個人目標は、「被災者の苦しみを言語化する」ということでした。もちろん、iER研修で学んだように、一人一人の苦しみは全く違うものであり、その多様さが災害支援をより難しいものにしているという前提はあります。東日本、能登、熊本と震災支援に関わる中で、自身にはあまりに過ぎた目標であることは自覚しながらも、それでもなお、何か言葉にしなければ昇華できない痛みがありました。
私は普段は自身の医院で在宅や救急の診療に携わっていますが、その中で忘れがたい症例が2例あります。終末期を迎える患者本人が子供か、患者は元気でも経過中に子供が亡くなって、いずれも「子供が亡くなった親に寄り添う」、ということが必要な事例でした。
善良に生きてきた人が、突然に大切なものを奪われてしまう。親にとっては子を失うことは、「未来」を失うことと同義です。運命的に突然未来を剝奪されるという「理不尽さ」こそが、人間にとって最大の苦しみである、ということを強く思いました。
震災に遭った方の言葉の節々に、それと同じ苦しみを私は感じます。子供を亡くしたわけではないにせよ、ぼんやりと生涯変わらず続くと思っていた「暮らし」をある日突然理不尽に奪われた、ということにおいては同じです。
おそらくそれは、想像もできない痛みなのでしょう。明日が今日と同じはずという、ある種の人生に対する信頼を失った人が、果たしてその後、心穏やかに暮らしうるでしょうか。
彼らがいかに救われうるのか、ということに、否応なく胸が詰まります。
考えてみれば現在の能登の医療は、特異な状況にあるわけではありません。私たちも自身の持ち場で、能登の被災者以上の苦境にある患者を抱えています。それなのになぜ支援のため、この最果ての地まで来るのか。
私は人間にとって最も重要な感情の一つは、共感と考えます。あなたの苦しみがわかる、と誰かに言ってもらえるから、人はかろうじて生きていけます。その原理こそが、明日が今日とは違う日だとしても、私たちが安心して生きるための社会の根底に必要なことではないでしょうか。
理不尽に巻き込まれ未来を奪われてなお、自身に関心が向けられていると感じられ、それをよすがに生きていくこと。その信頼感を届けるために私たちは現地へ行くし、行動し続けることで、私たち自身もまた、生きていけるのだと思います。
今回も大変ありがたい機会を頂き、改めて御礼申し上げます。今後も何かお役に立てるようでしたら、よろしくお願いいたします。
iERボランティア 医師 良雪雅
