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アジア開発途上国、日本の離島・へき地で活躍するメディカルチームの
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助産師

2024.02.14

カンボジアで赤ちゃんが教えてくれたこと

カンボジアで助産師として活動している清水です。

現在、周産期の事業に関わるにあたり、妊婦健診をしたり、隣接するポンネルー病院でのお産の介助に加え、分娩後の異常やポンネル病院からの紹介でジャパンハートの病院で産後のお母さんの受け入れなどを行っています。

ジャパンハート メディカルチーム 看護師

このような活動の中でたくさんの経験をすることができました。
私の中で忘れられない症例になったある1つのお産・新生児蘇生についてお話しさせていただきたいと思います。

日本では吸引と酸素投与、保温と灯り、また産後何分かがわかるような時計の機能がついたインファントウォーマーでしか新生児の蘇生をしたことがありませんでした。
人的にも、お産の時に最低でも3人は集まっている状態、かつNCPRという新生児蘇生の資格も全員が持っているような環境でした。

一方でカンボジアでは、日本のように最先端の機械があるわけではなく、人もモノも限られた中で対応する必要があります。さらにカンボジアでは新生児蘇生という概念自体が少し薄いような状態だと感じています。

ある夜勤の日、隣接する病院から一本の電話がかかってきました。
「今産まれた赤ちゃんが泣かない、早く来て!」

すぐに新生児蘇生の物品を持って、走って行きました。そこには、真っ白な状態で横たわっている赤ちゃんがいました。
直感的に「やばい!」と思い、すぐに酸素投与と心臓マッサージを開始。私は助産師人生で初めて、本当にこのまま死んでしまうかもしれない新生児に一人で、しかも物がない環境で頭の中はパニック状態でした。
冷静になり、電話をして日本人医師にも来てもらうことができました。その後、全員で色々手を尽くしてみたのですが、心拍が開始することなく蘇生を終了することしかできませんでした。

赤ちゃんのお母さんやお父さん、親族一同が心待ちにしていた第一子だということもあり、そこにいた全員が泣いていました。

その後、赤ちゃんの声が聞こえる環境では、お母さんの心が落ち着かないと考えて、お母さんはジャパンハートの病院の方に産後入院をしてもらいました。
そこで産褥期のケアを行っている中で、お母さんは泣きながらいろいろな話をしてくれました。赤ちゃんをどれだけ大切に思っていたのかの話を聞いたりしているうちに私も一緒に泣いてしまいました。

この症例を通して、一度猛省をしました。
自分の実力不足で蘇生ができなかったのではないか?シミュレーション不足で焦りが出たのではないか?もし、違う人だったら蘇生できていたのではないか?

等々、考えても仕方がないのですが内省をしました。
自分の性格上、起きてしまったことは自分のせいであると考えてしまう傾向にあるので、それが影響して喪失感が強くありました。

しかし、そこで腐ってしまってはこの夫婦の赤ちゃんが亡くなってしまったことに対して何も改善することができないと自分を奮い立たせて、症例検討会や、どう改善していくかの話し合いを行いました。
また、自分のこれからのカンボジアでの活動の目標や考え方を改善したりと、何とかして前向きに持っていくことができました。

助産師人生で初めて、目の前で新生児死亡を見た症例でした。
自分には何もできなかったという喪失感もありましたが、それを乗り越えて、これからどうするのか、自分が本当にやりたかったこととはなにか?を、思い出すことができた症例でした。

日本ではあり得ないことがカンボジアでは沢山あります。
また、自分の実力がどの程度なのかを知り、考え方、感じ方を見直す機会も沢山あります。日本で当たり前にできていたことがなぜかできなくなる。悔しい思いと患者さんに対して申し訳ないという気持ちでいっぱいになります。それでもやっぱり、頑張ろう!!と、思える活力をもらえるのも患者さんからです。

辛いことも楽しいこともあります。それでも学ぶためには、自分を見直すためには、全力でぶつかっていくしかない。
カンボジアに来て半年。
あと半年。ここからもっと患者さんのために何ができるか、内省しながら、できる限りのことをしていきたいと思います。

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