メディカルチーム医療者ブログ

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看護師

2024.03.21

カンボジア手術室~能登~カンボジア地方ミッション、そしてラオスへ

海外活動が始まって3カ月が過ぎました。
3カ月ずつ手術室、病棟勤務をそれぞれ経験していく方針だったため、同期と話し合い、私は手術室から開始することにしました。
集中治療や救急領域での経験が長かったこともあり、手術室にはとても興味があったからです。

大変だということは予想してましたが、実際その何倍も大変で、正直苦しかった。

多領域に渡る手術が行われており、見学等のステップを踏まず、色々な手術介助の機会がどんどん回ってきます。手術室での経験はなく、器具も手術の流れも分からない状態での機械出しは、不安でとても怖かった。

臓器名や手技が分からない状態で、日本語ですらどう書いていいか分からない手術記録を英語で書いて申し送るのには、とても苦労します。手術によっては術中経過をスライドにまとめ、ミッション中はそれを医師や他スタッフの前で当日のうちに発表するということも必要です。

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スライドに必要な写真を撮ったり、時間内にスライドを作ったり、書いてはみなものの読み方が分からない単語の発音を調べたり。でもいざ発表になると読み方を間違ってしまったり。

不安を少しでも解消したくて必死に予習復習をしても、そう簡単に理解できたり体が動くようになるわけでもなく、不安は募る一方で、なかなか成長できない自分にイライラしていました。余裕のなさから周囲のちょっとした言動にもイライラしたり。そんな自分は周囲に気を遣わせていること、それが分かっていてもどうにも自分自身をコントロールできないことにさらにイライラしたり。不安の表出なのか意見なのか文句なのかもわからない、毎日出てくる自分からのマイナスな感情に、このまま手術室での経験を継続することが自分を含め誰かにとっていい影響になるのだろうかと考えていました。

そんな時に能登半島地震があり、被災地派遣の声がかかりました。
正直、カンボジアから被災地支援に行くことができるとは全く予想もしていませんでした。

被災地支援には興味があり、環境も変えながら今の自分にできることが何かを見つけたいという思いもあり、1月8日に帰国し被災地支援へ参加しました。

最初に派遣された避難所はそのほとんどが高齢者で、ADLに介助を要する方も多く、コロナ罹患者も増え始めた時期でもあり、避難所とはいえ看護・介護度がともに高い状態でした。断水が続き、衛生管理にも課題があり、また医師の常駐はなく看護師も少なく、数日は数時間の睡眠で対応する必要もありました。

緊張感もあり、心身ともに疲労はありましたが、自身も被災者でありながら避難所を運営している方の思い、運営側と他支援者が話し合いながら協力し合える姿勢、炊き出しや自衛隊風呂のありがたさ、周囲の大人にも気を配りながら配膳等を手伝う若い世代、避難所の学校で授業再開時に聞こえる元気な小中学生の声…、その一つ一つに感謝の気持ちがわき、自分自身もできることを頑張りたいと思いながら活動していました。

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しかし最終日を前に自分自身がコロナに罹患し、この「頑張りたい」という自分の気持ちと、それをどうかたちにしていくかについて、自分の中でとても後悔と課題が残る活動になってしまいました。

最後の現場で一緒に活動していた先輩看護師からの、「自分の影響力について考えていく必要性」についての指摘は、海外活動を再開する上でも意識したい大切な気づきでした。誰かのためにと思ってやっていたことが、いつの間にか「自分が何をしたか」や「それに対する結果・評価」を求めることに意識や行動が変容してしまい、この研修で自己が達成したい目標とはかけ離れたところであがいているように感じました。

コロナ隔離のためカンボジアへの出国が遅れる中で、戻った時にどういう意識で手術室業務を含めた残りの期間と向き合っていくのがいいのか、色々考えていました。

しかし手術ミッション真っ最中のカンボジアに戻り、日々の業務にもまれていると、いつの間にか自分の言動が被災地支援に行く前と同じようなものになっているなと感じることが多々ありました。知っていると理解できるに差があるように、分かっていると行動できるにも大きな差があるなと、活動を通してつくづく思い知らされています。

ただカンボジアに戻って、クマエスタッフに「お帰り」と声をかけられたとき、患者さんと関わっているとき、自分の中にちゃんと「この場所でこのスタッフたちと一緒に仕事ができるようになりたい」という気持ちがある、ということも実感していました。

中々目に見えた「手術室看護」としての成長は難しかったですが、およそ3カ月間手術室での業務を経験し、最終的に他病院でのモバイルミッションに手術室スタッフとして参加しました。勿論ここでも反省や課題や葛藤はありましたが、3カ月間、何とか手術室で踏ん張ったおかげで、できたことや気づけたことが沢山ありました。

また、病棟勤務をしている際、術中経過の理解が術後経過の理解やケアに繋がったり、それを他スタッフに共有できたり、病棟スタッフから手術申し送りやスライドが分かりやすかったと言ってもらえたいりする中で、自分の看護の幅が以前より広がったなと感じることができるようになりました。

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数日後にはラオスでの甲状腺手術ミッションに行きます。
葛藤ばかりの日々ですが、とどまって向き合い続けながら、その時々で自分ができることをまずは精一杯やっていきたいと思います。。

そして、日本・カンボジアで経験したこと、これから経験していくことを少しでも看護で還元していけるようになろうと思います。

この活動では、職種や世代や人種を問わず、本当に尊敬できる方々とたくさん出会っています。話を聞いていただいたり、ご自身の経験を話して下さったり。その中で、最終的には自分で考えて決断していくことが必要であることを実感しますが、とても有難い環境だなと思います。

余裕のない雰囲気で周囲に気を遣わせてしまったり、距離をとったりしているときも、さりげなく見守ってくれている同僚たちには、本当に感謝しかありません。痛いところをつかれるような、厳しいことも言ってくれます。

本当にありがとう。

お互いに、自分の夢や目標に向かって切磋琢磨していける存在でありたいと思います。

看護師62期 関山弘子

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