参加者の声

長期・短期ボランティアや研修に参加されたみなさまの声をお届けします。

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2020.05.26

ひとつでも多くの命を救える助産師になりたい。異文化での活動を通して気づき大切にしたいとおもったこと。

カンボジア 助産師 ボランティア ひとつでも多くの命を救える助産師になりたい。異文化での活動を通して気づき大切にしたいとおもったこと。

▼活動地での研修内容・経験したことを教えてください。

長崎県・上五島では、産婦人科・小児科・整形外科の混合病棟へ配属されました。島で唯一の病院で、患者さんの命を預かる看護師も助産師も皆責任感があり、知識が豊富で、何より元気でパワフルでした。経験したことの無かった整形外科の術後の患者さんの看護や、小児看護を経験しました。

カンボジア 助産師 ボランティア ひとつでも多くの命を救える助産師になりたい。異文化での活動を通して気づき大切にしたいとおもったこと。

海外はカンボジアで半年を過ごし、前半はジャパンハートの病院で病棟看護、手術室看護を経験しました。抗生剤の投与や退院の判断は看護師の責任で、自信の判断に自信が持てず、日々知識不足との戦いでした。
後半は一人っ子研修でコンポンチャム州の病院に一人で滞在し、勤務形態も、看護師助産師の仕事も日本の物とは異なる中で昼も夜も現地の助産師と一緒にお産を看ていました。クメール語しか通じないスタッフの中で、クメール語力が鍛えられました。また、その病院では診られない患者さんを救急搬送した先の病院が廊下まで患者さんであふれているのを見たときは衝撃を受けました。
病院には使われていない手術室があり、そこを使えるように調整するのが課題でしたが、最後まで手術室の工事が終わらず次の期に引き継ぎました。

▼ジャパンハートの研修に参加を決めた理由を教えてください。

昔から漠然とした海外への興味がありましたが、大きなきっかけは助産学校の授業内で日本の新生児死亡率を他国と比較したグラフを見たことです。日本と比べ途上国では多くの命が失われていることが、統計的に示されていたことが私にはとてもリアルに感じ、いつか日本では助かる命が助からない国でひとつでも多くの命を救える助産師になりたいと思う様になりました。
 海外で働く為の選択肢は多くはなかったですが、色々な方法を調べる中で、保健活動だけでなく実際に現地で医療が行えるジャパンハートに興味を持ち、参加を決めるまでに説明会に何度か(2~3回参加したと思います)参加したり、助産師4年目の夏にスタディーツアーでミャンマーに行って徐々に気持ちを固めていきました。
 それまで主に助産師業務しか経験してこなかった私にとって、同じ病棟内の産科以外の患者さん(産婦人科と内科、眼科等の混合病棟でした)との関わりに対する苦手意識がありました。看護研修に参加することが助産師としての成長につながると考え研修への参加を決めました。

カンボジア 助産師 ボランティア ひとつでも多くの命を救える助産師になりたい。異文化での活動を通して気づき大切にしたいとおもったこと。

▼参加までのハードルや解決すべき課題など(仕事・お金・家族の説得など)

学生時代に奨学金を借りていたので、その返済が終わる4年目で退職しようと考え、職場の上司には2年目くらいから退職の意向があることを話していました。上司は私の考えを心配しつつも、応援してくれました。
参加費は当時の貯金では一括では払え無かったので、研修参加前に半額支払い、離島研修中に貯金したお金で残りの半額を支払いました。支払方法については同期もそれぞれの状況に合わせ、事務局に相談しながら支払っていたと思います。
家族には参加を決めた頃に相談というよりは報告という形で伝えましたが、反対されることはありませんでした。その頃も今も、両親は誰よりも私を心配し応援してくれる存在です。

▼言語・価値観・が違う現地の方々、また駐在している日本の医療者との活動で困ったこと、また工夫などありましたら教えてください。(スタッフとの連携や、人間関係)

 「NGOでの活動は日本の病院の様に年間計画通りに進むことは少なく、非常に流動的ですからね。」と事前の説明会で担当者に言われたことを覚えています。言われた通り、研修参加前にはミャンマーだと思っていた研修地はカンボジアとなり、研修内容も最初の予定通りには進みませんでしたが、事前にそう言われていたので驚きはしませんでした。
 特に気を付けていたのは患者さんへの説明でした。日本語通訳か英語通訳を介して行うのですが、彼らは医療者ではないため私の伝えた言葉が患者さんへ正しく伝わっているかを常に確認するようにしていました。私があまりにもしつこく確認するので呆れられたことも多々ありましたが、いつも付き合ってくれて感謝しています。

 看護研修生として参加しましたが、2016年にから始まったカンボジアでの周産期事業にも助産師として関わることとなりました。自分の中で看護師研修を受けると決めて参加を決めたため、周産期に関わることには自分でも驚くほどに抵抗を感じました。
 その理由は徐々に分かってきたのですが、今まで日本で当たり前のように行っていた助産技術や判断が、現地の異なった環境の中に身を投じた瞬間にとても未熟で根拠の無いものだったことを実感するのが怖かったのです。そんな未熟な自分が、妊娠経過も分からないハイリスクのお母さんたちを看護することは大変な恐怖で、一時周産期から距離を置きたいと思ったこともありました。
 その気持ちが変化していったのは当時周産期の責任者だった日本人助産師の存在があったからです。病院に来るお母さん、赤ちゃん、そしてカンボジア人助産師たちへの教育全てを一人で背負って働くその人背中を見ていたら、自分が患者さんへの声かけも笑顔も忘れていた事に気付かされ、自分が助産師の仕事を好きだったということを改めて思い出しました。今でもその人が私の一番尊敬する助産師です。

▼現地で医療をする楽しみ、醍醐味はなんですか?

言葉の通じない患者さんの訴えを理解できたとき。文化も背景も違う患者さんが、日本の医療を頼ってくれて、感謝してくれることは大変うれしく思いました。患者さんだけでなく、「国が違うから、という理由で十分な医療が受けられないなんて悲しすぎる」と思った助産学生時代の私自信を、を救う経験でもありました。

▼活動地での忘れられないエピソードがあれば教えてください。

忘れられないエピソードは沢山あるのですが、2人の方に絞ります。

1人目は、看護師として病棟で受け持っていた患者さんです。病院を訪れたてすぐに、虫垂炎で緊急手術となりました。手術は無事に終わりましたが、術後の経過が思わしくありませんでした。日々状態が悪くなっていき、手の施しようがなくなり首都の病院に搬送されることになりました。
 診察室でその説明を受けたご家族が、通訳に強く何かを訴えていて、通訳を待たなくても何を言っているのかが分かりました。私たちの病院を信頼して家族を任せてくれたのに、ここでは治療が出来ないことへの憤り、どうしてもっと早く搬送してくれなかったのかと。ひとしきり話し終えた後、家族は私たちの方を見て微笑んでお礼を行ってくれました。患者さんも苦痛に顔を歪めながら、微笑んでお礼を言ってくれました。
 その患者さんの治療経過に最後まで自信を持てなかった自分がふがいなくて、それでも感謝してくれるのが申し訳なくて、もっと積極的に行動していたら患者さんの事も家族の事も、もっと大事に出来たはずなのにと強く後悔したことは今でも変わらず心に残っています。

 2人目は19歳の妊婦さんです。手術ミッション後で、レポートを書くために病院に残って作業をしていた時、深夜に男性が飛び込んできました。通訳を介して女性が腹痛を訴えている事が分かり、車まで行くと妊娠中期程のお腹をした若い女性が冷や汗をかいて助手席に座っていました。まだ生まれるのには早すぎる妊娠週数でしたが、分娩進行を止めることは出来ない状態で、現地の病院での出産となりました(中期中絶に当たるため私たちの病院で扱うのは法律違反でした)。
 昼過ぎに赤ちゃんが生まれたと連絡が来て現地病院の分娩室に駆け付けると、お母さんは分娩台に一人寝かされて、足元のごみ箱の上に膿盆に入った赤ちゃんが放置されている状態でした。助産師は仕事を終えて、誰も近くには居ませんでした。
 例えお腹の外で生きられない小さな赤ちゃんであっても、お母さんにとってはつい昨日までお腹で動いていた命です。その悲しさに声をかけたり、寄り添う事は日本の助産師にとっては当たり前ですが、現地の助産師にとっては普通ではありません。現地の助産師の行動を端からを酷いとか、間違っているとは思いませんでしたが、普段明るく私に声をかけてくれる助産師がお母さんや赤ちゃんをそんな風に扱うことが残念でなりませんでした。私がそばに行くとそのお母さんは伏し目がちに涙ぐみ、赤ちゃんを見て微笑みました。その姿を見て、どんなお産であっても私は大切にしたいと改めて思いました。

カンボジア 助産師 ボランティア ひとつでも多くの命を救える助産師になりたい。異文化での活動を通して気づき大切にしたいとおもったこと。
 
 現地で医療をするということは、異なる文化背景の中で日本で当たり前に大切だと思ってきたことを、改めて見直す機会でもありました。

▼帰国後はどのような活動をされていますか?

研修後の事は明確には決めていませんでしたが、現地で恐怖を感じた助産師の仕事を、改めて日本でやり直そうと思っていました。離島医療への興味から、奄美群島内の病院で助産師として働いています。離島を取り巻く環境は途上国と似ていて、大変勉強になっています。また、日本の助産の面白さと温かさを改めて感じています。
ただ、日本で働きながらまた海外で働きたいという思いが帰国後徐々に強くなりました。今年から再びカンボジアで活動する予定です。

▼今後の参加者へのアドバイスと、参加を迷われている方へ一言お願いします。

参加を決意するまでは数年の時間を要しました。日本での経験を積んでから、英語をもっと勉強してから、と当時は迷いながら決意するのを遅らせていた気がします。
ただ参加して思ったことは、もっと早くても良かったなという事です。いくら日本での経験を積んでも、どうにも太刀打ちできない事態がいくらでも起こります。迷っているなら直ぐにでも、決意すれば良かったなと思っています。
 お金もかかりますし、精神面も辛い研修でしたが、私の人生にとっては今のところ、一番良い買い物だったと思います。

カンボジア 助産師 ボランティア ひとつでも多くの命を救える助産師になりたい。異文化での活動を通して気づき大切にしたいとおもったこと。

福田 菜摘 様 

経歴

▼活動地
国内:長崎県上五島
海外:カンボジア

▼ジャパンハートでの活動期間
2016年5~2017年4月:国際看護長期研修
※国際助産師研修は2018年より開始となったため、それ以前の助産師は国際看護師研修として参加しています。
2019年10月:カンボジア短期ボランティア参加

▼看護師・助産師歴
産婦人科(地域周産期センター)・眼科混合病棟:4年