VOICE

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オペナースとして3年間働いてきた西中看護師。
国際医療への想いを胸に参加したメディカルチームでの18カ月間は、決して順風満帆ではありませんでした。
国内活動で自信を失い、海外で葛藤し、それでもなお「この道に進みたい」と思えた理由とは何か。
参加を迷う医療者が、決断の前に知っておきたい“揺れ”と“確信”を、率直に語っていただきました。
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揺れながら歩いた18カ月。カンボジアで見つめ直した、私の医療

不安が消えたのではなく、向き合い方が変わった

■ 参加前の率直な気持ちを教えてください。

 西中看護師  正直に言うと、不安のほうが大きかったです。
海外で暮らした経験もなく、カンボジアという国も未知でした。臨床経験もまだ浅く、自分が本当に通用するのかという不安もありました。

ただ、応募を決めたときは少し違いました。大学時代からジャパンハートに参加することを意識して、看護師として必要な経験を積もうと考えてきました。最短で応募できる年数を一つの目標にして働いてきたので、応募のタイミングは、ようやくチャンスが具体的になった瞬間でもありました。好奇心や「やっとここまで来た」という気持ちが、背中を押してくれたのだと思います。
しかし、参加が決まってからのほうが、不安は大きくなりました。決断が現実になり、国内活動や渡航の準備が具体的に進み始めると、「本当に大丈夫だろうか」という思いが日増しに強くなっていきました。国内活動が始まる前は、家族の出来事や体調面の心配も重なり、気持ちが揺らいでいた時期でもあります。

不安がなくなったから進めたのではありません。不安を抱えたままでも、それでも挑戦したいと思えたことが、参加の決め手だったのだと思います。

■ 特に不安だったことと、それは実際どうなりましたか?

 西中看護師  一番つらかったのは、国内活動の最初の1か月でした。
私は手術室の経験しかなかったため、病棟での業務はまったくの別世界でした。応援として来ているのに、わからないことだらけで、周囲に聞いてばかりの自分が情けなく感じました。本当に役に立っているのか、ミスをしないかと毎日不安でした。
オペ室とは勝手の違う病棟の夜勤が始まり、経験不足と忙しさで落ち込むこともありました。海外に行く前からこんな状態で大丈夫なのかと、自信をなくした時期でもあります。

そんな中で意識していたのは、休日にはあえて予定を入れ、仕事から一度離れる時間をつくることでした。意図的にリフレッシュの時間を確保することで、気持ちを立て直していたのだと思います。

不安が完全になくなったわけではありません。ただ、向き合い方が変わりました。
地域の方々やスタッフと関わり、クリスマス音楽会を企画するなど、医療の枠を越えた活動にも挑戦する中で、自分にもできる役割があるのだと少しずつ思えるようになりました。患者さんやご家族、スタッフからの言葉に救われながら、不安を抱えたままでも前に進めるのだと実感できるようになったのだと思います。
揺れながら歩いた18カ月。カンボジアで見つめ直した、私の医療

日本の基準を手放したとき、見えたもの

■ 印象に残っている出来事を一つ教えてください。

 西中看護師  カンボジアに赴任して3カ月目、オペ室に配属されて1カ月ほど経った頃のことです。ようやく全体の流れが見え始めたタイミングでした。

全身麻酔後の管理について、気になる場面があり、急変を何度か経験しました。私は危機感を覚え、朝礼でその問題を共有しました。
当時はまだ現地スタッフとの関係も浅く、英語でのコミュニケーションも手探りの段階でした。外から来たばかりの自分が、現地のやり方に対して意見を伝えることは、想像以上に勇気がいることでした。
実際にその後、麻酔科も含めたミーティングになり、空気が一瞬張り詰めたのを覚えています。関係を壊してしまったのではないかと、不安になりました。
英語で直接的に伝えなければならない状況で、日本のように配慮を重ねる余裕もありませんでした。正しいと思うことを伝える難しさと、相手を尊重する姿勢の間で揺れた瞬間でした。

結果として、他のスタッフも同じ課題意識を持っていたことが分かり、話し合いを重ねる中で改善の方向が見えてきました。あの経験を通して、医療とは“正しさを押し付けること”ではなく、“対話し続けること”なのだと実感しました。

■ 活動を通して、自分の中で変わったことを教えてください。

 西中看護師  価値観と許容範囲が広がったことです。
日本の基準が世界基準ではないと実感し、異なる背景を前提に物事を考えるようになりました。また、できない自分を受け入れながらも、一緒に考え、対話し続ける姿勢を大切にするようになりました。
国内活動で「役に立てない」と感じた経験があったからこそ、海外での葛藤にも向き合えたのだと思います。

進路は未定。それでも、もう一度ラオスへ

揺れながら歩いた18カ月。カンボジアで見つめ直した、私の医療

■ なぜ“海外”で活動することに意味があったと思いますか?

 西中看護師  海外で活動したからこそ、自分の医療観を揺さぶられました。
生活環境も医療体制も違う中で、何が本当に患者さんのためになるのかを考え続ける日々でした。
現地スタッフと一緒に悩み、一緒に改善を重ねていく。その経験は、日本では得られないものでした。自分が本当に国際医療に関わりたいのかを確かめる機会にもなり、今はこの分野に関わり続けたいという思いが、以前よりもはっきりしています。

帰国した今も、具体的な進路はまだ決まっていません。
ただ、2カ月後には再びラオスでのオペに参加する予定です。迷いがなくなったわけではありません。それでも、もう一度あの現場に立ちたいと思えたことが、私にとっての一つの答えなのだと思います。

■ 今回の活動を一言で表すと?

 西中看護師  揺れの中で、自分の軸を確かめる18カ月でした。

役に立てないと感じた国内活動の半年間も、葛藤の多かった海外での1年間も、すべてが今の自分につながっています。迷いながらも続けた時間が、自分がどのように医療に関わりたいのかを考える機会になりました。
揺れながら歩いた18カ月。カンボジアで見つめ直した、私の医療

■ 参加を迷っている医療者へメッセージをお願いします。

 西中看護師  良いことばかりではありません。
不安や葛藤、思うようにいかない経験もあります。それでも、日本では出会えない景色や感情に触れ、自分自身の軸を見つめ直す機会になります。
迷っているということは、どこかで気になっているということだと思います。いきなり決断しなくても構いません。まずは話を聞いてみることからでも十分だと思います。
揺れながら歩いた18カ月。カンボジアで見つめ直した、私の医療

【プロフィール】
西中看護師|看護師3年目(当時25歳)
首都圏の高度急性期病院(約700床)にて手術室勤務
・周術期看護(術前・術後訪問、疼痛管理)
・夜勤・祝日帯における緊急手術および急変対応
・手術室リーダー/感染対策係として感染管理およびマニュアル改定に従事