VOICE

メディカルチーム助産師の近澤です。
私は普段、ジャパンハート医療センターに隣接するポンネルー病院というカンボジアの公立病院の産科病棟で、現地の助産師たちと一緒に働いています。
先日、このポンネルー病院を離れ、車で約3時間の場所にあるクロッチュマー病院という公立病院に、2週間滞在しました。周囲は田んぼに囲まれ、市場も歩いて行ける距離にはない地域です。

私がこの病院を訪れるのは今回で2回目です。初回はカンボジアに来て3カ月目の頃、同じ公立病院でも地域によってどのような違いがあるのかを知りたくて滞在しました。
今回の訪問は、前回気づいた課題である「帝王切開後のケア」と「母乳育児ケア」をより充実させることを目的に訪問しました。
同じ26週、違う結末 ― 看取るという選択と向き合って
滞在中に経験した、忘れられない出来事があります。いずれも妊娠26週で出産となった、2人の初産婦のケースです。
1人目の方は、陣痛を訴えて来院しました。エコー検査では、赤ちゃんの推定体重は約700g、骨盤位(逆子)の状態でした。カンボジアではガイドライン上、26週以降は「早産」として扱われますが、エコーをした医師からは「推定体重が1000g未満だから助けるのは難しいと思う。しかも骨盤位だから。」と言われました。日本であれば、22週以降の早産は積極的に蘇生や治療を行います。そのため私は、流産ではなく早産と認められる週数に入っているのであれば蘇生の準備を行った方がいいのではないかと思っていました。
しかし、この赤ちゃんは「生まれても蘇生は行わず、看取る」という方針がとられ、本人と家族にも説明がされました。

赤ちゃんは、生まれたあと泣くことができませんでした。私たちは蘇生を行わず、心臓が自然に止まるのを静かに見守りました。赤ちゃんの体重は610g。約2時間後、赤ちゃんは息を引き取りました。泣くことはできなかったものの、ずっと心臓は強く動いていて、時々、泣こうとするような呼吸や表情も見られました。
だからこそ、何もせず見ているだけの時間は、私にとってとてもつらいものでした。

現地の助産師はこう話してくれました。
「もしここに設備がすべて整っていれば、この赤ちゃんは助けられるかもしれない。でも、ここにあるものは不十分だから難しい。」
「赤ちゃんの治療にはお金がとてもかかる。この家族には保険もなく、貧しくて治療費を支払うことができない」
実際、この病院には蘇生用のバッグバルブマスクは正期産児用の大きいマスクしかなく、点滴用に血管確保をする針や輸液ポンプ、新生児用のSPO2モニター(指先などに光を当て、皮膚を通して動脈血中の酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を測定する医療機器)などもありませんでした。

私はこのようにカンボジアで流産や死産に立ち会った際、毎回考えさせられることがあります。それは、赤ちゃんを亡くすという経験をした患者さんや家族へのケアが、十分ではないのではないか、ということです。

例えば、生まれても未熟で生きることが難しいと想定される赤ちゃんをこれから出産しようと陣痛で苦しんでいる妊婦の前で、スタッフが普段と変わらず大きな声で談笑をしていたり、赤ちゃんの心臓がまだ動いている時に、ある助産師に「赤ちゃんの体を顔まで見えないようにタオルですっぽり包んで家族に渡して」と指示があったりなど。一方で、出産を終えたお母さんの様子は想像以上に落ち着いた様子で、時々笑顔もあり、赤ちゃんを見ることなく部屋に戻っていきました。

これに対して患者さんや家族へのケアが、十分ではないのではないか、というのは日本人ならではの価値観なのかもしれない。また文化的なの違いなのかもしれないし、悲嘆過程に対する知識の違いかもしれない。

まだまだ満足にカンボジアの人たちとのコミュニケーションが本当のところで分かり合えるところまで至っていないからこそ、心が揺れ、迷い、どう動くのが正解か悩みます。
もしかしたら患者さんは笑顔の奥で悲しんでいるかもしれない。

患者さんに赤ちゃんと一緒に過ごすことを提案できるかもしれないが、それが患者さんや家族を傷つけるかもしれない。
どう動くことがその患者さん達にとってプラスになるのか、考え続けても正解は見つかりません。
※「同じ26週、違う結末 ― 救えた命から考えたこと 」次項に続く

助産師
近澤美祐