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【災害支援・対策(iER)】令和8年 熊本地震の支援活動を通して ― 災害医療の現場から

令和8年7月28日に発災した熊本地震の支援活動に、8月1日から4日まで参加しました。熊本には10年前の地震の時には関わりを持つことはできませんでしたが、ここ最近は何度か業務で訪れる機会がありました。
日本という国の真にかけがえのない資産は、諸外国と比較しても圧倒的な生物多様性を生み出す自然の豊かさと、人々が島国で発展させた独自の文化と歴史にあります。熊本を初めとする九州地方は、国内でも自然と歴史の融合が最も美しい土地の一つであると思います。今回の震災後、眉山の表層剥離や熊本城石垣の崩落を知り、心が痛みました。
地学的にはプレートの活動が地震や火山活動を生み出し、そういう場所には肥沃な土壌が醸成され、希少な鉱物や豊富な地下水が湧きます。人々が定住するのもまたそんな地域になることを考えれば、災害があるたびに多くの被害が出るのは必然です。それをいかに少なくできるのかというところに、人間の知恵と、社会の正しさがあるのだと思います。
8月1日に八代市の避難所に入ったのは20時を回ってからですが、すぐに医師の到着を待っていたかのように、やや重度の判断に迷うような患者さんの診療が始まりました。受け答えのあやふやな意識障害を疑う方も数名おり、単に眠いからか、一過性のものか、熱中症などの病的なものかの判断は、普段から機材の乏しいクリニックや在宅の環境に慣れている身ではあっても、非常に難しいところでした。
2日目は朝からそこまでの緊急性には乏しいものの、暑く不衛生な環境の中で震災時に負った外傷が化膿してきた方や、強い打撲を負ったもののレントゲン撮影をされず骨折が否定できない方、腱や靭帯損傷を疑う方、内科的な疾患の常備薬を亡くした方等、目まぐるしく診療に当たりました。採血や縫合処置などはできない環境ですが、エコーと心電図を置いて頂いていたのが大変助かりました。これらの機材が大活躍し、ある程度自信を持って診療を行うことができました。このような忙しい時期は翌8月3日頃まで続きました。
実は避難所での診療に当たるのは、能登震災に続き2回目でしたが、その際は亜急性~慢性の時期でした。疾患的にも急性期と呼べるタイミングかつ、ダイナミックに毎日大きく避難所の環境が変わる状況の、震災直後の時期に入ったのは初めてで、大変勉強になりました。
特に素晴らしいと思ったのは、ジャパンハートの看護師さん達です。避難所では、気力を失い体調の悪化があっても、それを放置している方も少なくありません。環境の変化もあり、自分で気づけないケースもあるのだと思います。100名以上の避難者に対して、看護師さん達は環境を整え、能動的に体調不良者を見つけ、それを医師に報告し、診察させるという非常にアクティブな動きをされておりました。私のいる間に、彼女たちの発見により、おそらく(感覚的にですが)3名程度の災害関連死が防がれたのではないかと思います。
このアウトリーチこそが災害医療の肝であるということが、私にとっては非常に深い学びであり、ここなくして4日間の診療は完遂できませんでした。この場を借りて御礼申し上げます。
今回主に一緒に動いて頂いたジャパンハートの飛田さん、枡田Ns、ありがとうございました。飛田さんの常に冷静かつ的確な指示、枡田Nsのこの人はいつご飯を食べているんだろう?という常に動き回るアウトリーチ力に助けられました。同じボランティアの臨床検査技師の渡部さんにはエコーをバンバン撮影して頂き、とても心強かったです。東郷Nsは初めてボランティアに参加したとのことですが、日がたつにつれメキメキと場を引っ張り、最終日にはもはや現場のリーダーとして頼らせていただきました。
孟子に「惻隠の情」という言葉があります。子供が誤って井戸に落ちようとしている時に、自分の身の安全や損得など何も考えず、ただ体が動いて助けようとすること。それこそが人間にとって最も重要なことであり、社会をまともに構築する根底にある原理である、という話です。今回の突然の震災に当たり、いてもたってもいられず自身の身に負担をかけてでも現地へ来た多くの医療者や、それを取りまとめるジャパンハートをはじめとする団体の皆様に、深い敬意を表します。

熊本はまたここからが、中長期の支援が必要になると思います。またお役に立てる機会があれば、皆様の力をお借りしながらご協力できれば幸いです。
