VOICE
「世界のお産を見てみたい」から始まった、カンボジアでの1年間
■ 職種 助産師
■ 活動期間 2025年1月~2026年8月
■ 活動場所 国内活動:長崎県立対馬病院 海外活動:カンボジア
Q1.参加前の率直な気持ちを教えてください。
元々参加の動機は「世界のお産をみてみたい」だったので、どんな世界が広がっているんだろうというワクワクした気持ちが半分と、1年間というそう短くない期間をカンボジアでやっていけるのだろうかという不安な気持ちと、私に何ができるかは未知だけどできることはとにかくなんでもしようという気持ちがありました。
Q2.特に不安だったことを具体的に教えてください。
カンボジアの人たちとうまく関係性を築いていけるのかな、ということに悩んでいた気がします。あとは英語が苦手だったのでコミュニケーションがとれるだろうか、うまく喋れなかったらどうしよう、と思っていました。
Q3.その不安は、実際どうなりましたか?
最初の数カ月は英語がうまく喋れなくて悩んだり、自信がなくてドキドキする場面が多かったです。でも、カンボジアの人たちはスタッフも患者さんもみんなニコニコと気さくに話しかけてくれるので、すぐに緊張は解けてコミュニケーションを楽しむことができるようになりました。
もちろん、英語や話すことが完全に得意になったわけではなく、「こういうときにこういうことが言えたら…」と思う場面もあったので、それは振り返ったり勉強したり足りないながらに工夫して過ごしていました。また、現地の公立病院だと英語すら通じない場面も多かったので、ちょっとずつ覚えた たどたどしいカンボジア語や翻訳機の力を借りてコミュニケーションをとっていました。お互いに「相手の言っていることを理解しよう」と思って接してくれているという関係性があってこそ成り立ったなと振り返って思います。出会ったカンボジアの人たちに感謝です。あとは単語を変えたり言いまわしを変えてみたり、どうにかこうにか工夫して相手に届くようになんとか伝えようという力が身についた気がします。

Q4.印象に残っている出来事を一つ教えてください
いくつかは活動レポートに書かせてもらいましたが、書いていないところでいうと低血糖になっている赤ちゃんを病室で発見し、点滴管理のできるNICUのある大きい病院に搬送したときの出来事は忘れられません。
患者さんの家族が診察室にやってきて「赤ちゃんがミルクを飲まない」と言いました。他のスタッフたちによってもう少し様子を見るよう言われ、部屋に帰らされそうになっていましたが、その赤ちゃんは双子の2番目として生まれて出生体重も少し小さかったことを思い出し、私は家族について赤ちゃんのもとへ。最初は寝ているだけのようにも見えましたが、家族に最後にミルクを飲んだのはいつか尋ねても困ったような顔をするだけ。もしかして全く哺乳していないのでは?と思い、ミルクを飲ませてみようとしても口を開かず眠気に負けてしまう赤ちゃん。未熟さを鑑みて、低血糖になっているかもしれないと急いで血糖値を測ると既に低血糖を引き起こしていました。シリンジでミルクやブドウ糖液を哺乳させましたが血糖値はほんの少ししか改善せず、搬送して輸液管理が必要だと現地の助産師や医師に説明しましたが、「もう少ししたら血糖値が改善するんじゃないかな」と思うスタッフも数人いて。
日本のように小児科や新生児科の医師に相談や指示を仰ぐことが簡単にできない環境だからこそ、自分の判断への責任の重さは日本で働いていた時以上に背負いました。また、そういった見慣れていないケースになると現地スタッフも対応に自信を持てないことに対して、自分事のように共感できました。その場でも搬送までのタイムリミットを気にしながらじりじりと議論を交わし、赤ちゃんはプノンペンの大きい病院へ搬送しました。
この事例が印象に残っているのは、赤ちゃんが低血糖で傾眠傾向になっているシビアな症例というだけではなく、搬送してそれで終わり、とはならなかったからです。現地の助産師のスタッフ達からは「私たちは気づけなかった。どうして低血糖かもしれないと気づくことができたの?」と自ら聞いてきてくれました。また産科の医師も、知り合いの新生児科の医師などに高次施設ではどのように介入・対応しているかを尋ねていました。そして私も同時期に活動していた日本人助産師に共有し、なるべく早期に対応できるようフローチャートを作成して掲示することになりました。血糖測定用のチップがカンボジアでは高価であることも考慮して、どうすれば最低限で確実に安全を確保できるかと現場に合わせたフローを相談しながら作りました。
完全に定着するまではもう少し時間がかかりそうですが、もしかしたら今まで見過ごさされていたかもしれない低血糖の赤ちゃんを少しでも発見して治療へ繋げられたらと、その一歩となった出来事でした。

Q5.活動を通して、自分の中で変わったことを教えてください。
正直、「自分の中で何かが劇的に変わった!」ということはありません。ただ、1年前より少しだけ「たくましく、柔軟になった」気はしています。渡航前や活動初期は「一人の助産師として、目の前の患者さんにどれだけ良いケアを届けられるか」ということを考えていました。
私が見てきたカンボジアの現場では、物も人も、医療安全を担保するためのシステムも不足を感じる場面が多々ありました。でも「○○だからできない」とは思いたくなかった。目の前の患者さんに向き合うのはもちろん、急変時など「今あるものでどう乗り切るか」「このスタッフが得意なことはなにか」「誰に相談すればこの状況を突破できるだろうか」などを常に考えコミュニケーションを取りながら、全体を見て動く場面が増えました。
あるものでやりくりし、人の強みを活かして全体を回すという経験から、「条件がそろっていなくても、工夫次第でやれることはある。」と思えるようになったことが、この1年で自分の中に根付いた一番の変化かもしれません。

Q6.なぜ“海外”で活動することに意味があったと思いますか?
元々、一度日本を飛び出して外から見てみることで、日本の医療を客観的に見つめ直したいという思いもありました。
カンボジアのジャパンハートの病院には出産を扱う部署が現在ないため、私たち助産師は地域の病院に「お邪魔する」形で活動しています。アウェイな現場に入り込んでみると、直接のケアもそうですがそもそもの業務スタイルや病院の仕組み、教育のやり方など様々な違いや根本的な問題などいろいろ知って見えてくるところがあって。本当に望む未来にするためには、今日明日で解決できることだけじゃなくて、もっと時間や力や人や知識などたくさん必要になってくるなと痛感しました。
そして同時に、なにか問題を感じたときに「でもこれってカンボジアだけの話じゃなくて、日本の現場や生活の中でも感じることだな」と思うことも多かったです。それだけでなく、参考にしたいと感じるようなカンボジアの良さもたくさん知ることができました。目の前のケアだけじゃなく、現場全体でどう命を支えていくか、もっと良くしていくためにはどうしたらいいか、という根っこは、どこにいても共通なんだなと感じました。
異国の現場で揉まれながら、その根っこにある課題が見えたこと。そして日本の医療のことも、自分のことも、ちょっと引いた目で見られるようになったこと。それが私がカンボジアで助産師として活動して一番良かったなと思うことです。

Q7.参加を迷っている医療者へメッセージをお願いします。
もし迷っておられるのであれば、覚悟がある程度決まるまではたくさん考えていいと思います。ただ個人的には、あまり大きいことや難しいことを考えず、自分にできることを自分にできる範囲で行っていく、という気持ちくらいで飛び込んでいいんじゃないかなあとも思ったりします。カンボジアの変化は本当に想像を超えるほど早いなと実感したので、こちらに来られてから見て感じたことに対して、ちょっとでも未来が明るくなる方向に行動されること、そうして参加した方々の力が合わさって少しずつ前に進んでいけばいいなあと思います。

Q8.今回の活動を一言で表すと?
目の前の命から現場の仕組みまで、「命を守る環境つくり」とはなにか、それについて深く向き合った一年、です。
日本にいると、日々の生活や雑多な情報に追われ、なにか一つのことだけに没頭するということが難しくなっていると感じます。そんな日常から離れてカンボジアで過ごしたこの1年間は、患者さんのことや一緒に働くスタッフのこと、そしてカンボジアの医療システム全体に至るまで、「周産期医療のあり方」や「命が生まれる現場をどう支えるか」などに対して集中して深く向き合い考え抜くことのできる、非常に贅沢な時間となりました。
カンボジアの文化や価値観を尊重する中で、すぐに変えることは難しい根本的な問題に直面しながらも、医療現場を支える教育やマネジメント、持続可能なシステム構築とそこで働くカンボジア人スタッフの生活に向き合うことの重要性を実感しました。
現場の仲間とともに悩み、模索し続けたこの1年間の学びとたくさんの温かい出会いを大切に、これからも真摯に医療に向き合っていきたいなと思います。

助産師
近澤
