ラオス
2018.12.29
ボランティアとしての自覚
2018年1月、理学療法士としてジャパンハートラオスでボランティアを始め、途中2カ月間カンボジアAAMCを経て、12月に活動を終了し日本へ帰国した。このボランティアをするきっかけは1980年に遡る。当時、ポルポト政権による圧政の影響で、タイへ避難したクメール人の難民キャンプへのボランティア活動に参加した。1グループ10人で約3週間の予定で難民キャンプのChildren Centerで活動をするはずであったが・・・。
その当時、欧米人が灼熱の中、難民キャンプ前のテントで寝起きして、活動を行っていたが、日本人は我々だけであった。我々はキャンプから少々離れた駅前のよろず屋さんの2階に間借りした。天井にはヤモリが張り付き、シャワーはなく、サソリを時々みかける水ガメからの水浴びしかできなかったが、欧米人のテントに比べたら雲泥の差の居心地であった。そんな恵まれた環境にも関わらず、私は期間の半分をデング熱のためにベッドで寝ていた。足手まといにしかならず、中途半端で終わった海外活動の“借り”を返すため、1年間のボランティアを決心した。幸運にも、英語を十分に話せない私でも受け入れてくれるジャパンハートに巡り合うことができた。お金さえ払えば食住も確保され、面倒な手続きも団体がすべて行ってくれる。実は、私がこのジャパンハートに心から感謝する気持ちを持てたのは活動半ばで、海外医療活動の実情を知ってからであった。
事前の説明会で、短期ボランティアに参加している医師が「皆さん、医療活動をするのに安くないお金を払って不安ですよね。でもお金を払ってでもボランティアをする価値がありますよ」と言った言葉を信じて来たにもかかわらず、いつしか、予定通りに進まないミッション、スムーズに動けない新任スタッフやボランティア達の戸惑いを目の当たりし、自分の心もバランスを崩しそうになる時が少なからずあった。
ジャパンハートラオスでは、私の専門のリハビリテーションに時間をかける患者さんは少ない。むしろ、甲状腺モバイル診療や手術ミッションのお手伝い的な仕事ばかりである。それは、事前に十分な説明があり、自分で覚悟してきているつもりであったにもかかわらず、理学療法士としての自分の存在感に疑問を感じる時があった。ラオス事務所の近くの名所タートルアンにある広大な広場を、夕方、ラオスの人々ともにウォーキングしながら、大空に浮かぶ夕焼けに向かって「なぜ、自分はここにいるのだろう」と自問自答してきた。
日本であれば、自分がいなくても代わりのセラピストは何人でもいる。リハビリテーションを受けられる病院まで車で3時間かかる田舎に住む頸髄損傷患者さん。ラオス事務所から約3時間かけて訪問するその患者さんと行うリハビリテーション。甲状腺診療を受けるため、何時間もかけて徒歩と農耕機で訪れるラオス北部の山岳民族の女性たち。日本では暮らせない給料で働く、カンボジアやラオス事務所の日本人スタッフ。わけあってパスポートのコピーしか持ち合わせていないにもかかわらず、次の活動に間に合わすために飛行機に乗れないか、空港のImmigrationの係官に掛け合ってくれたラオス人通訳。英語で通訳もこなせる優秀なカンボジア人医師や看護師、助産師たち。そして、ミーティングをすることで業務改善を図るカンボジア人のAdministratorや清掃員やドライバー。笑顔を絶やさない現地スタッフ。そして、いつでも素敵な笑顔を返してくれるラオスやカンボジアの患者さんや家族。
このような人たちの中で、ボランティアをさせていただいている喜びを忘れかけていた自分がいた。ただ、この喜びは待っていても訪れない。ボランティアや研修生の中には「こんなはずじゃなかった」と不満を持つ人がいた。でも喜びは団体や周りの人が与えてくれるものではない。自分自身を見つめられる人、気づきがある人、そして、団体に迷惑をかけずに周りの人に配慮した言動をとれる人、ボランティアや研修生として成長する人が得られるものであると思う。
これから短期~長期で海外活動を考えているリハビリテーションの専門家に助言するとしたら、専門分化が進んでいるリハビリテーション界だが、いかなる疾患にも対応できるようになればベストである。しかし、そうでなければメールやSNSで相談できる自分の専門分野以外の得意分野をもつ理学療法士や作業療法士、言語聴覚士と仲良くしておく。私の場合は、義肢装具士や整形外科の医師に相談する機会があった。2点目にラオスでもカンボジアでも、英語やフランス語でコミュニュケーションを取れるセラピストが当たり前のようにいる。英会話ができればベターだし、Japanese Standardだけでなく、日頃からInternational Standardのリハビリテーション知識技術にも触れておく。
治療や理学療法をするために患者さんがいるわけでない。医療を提供する専門家としての自己満足を得る事だけが目的であれば、患者さんやジャパンハートに迷惑をかけるばかりである。理学療法士の前に一人の人間、ボランティアであるという自覚を欠いていた自分に気がついた。自国の医療技術に頼れない、治療費を払うと明日からご飯も食べられない、そのような現地の人に医療を提供することがジャパンハートの使命とするところだが、それは、「人の役にたつということで自分(ボランティアとして)の存在感を確認する」ということに基づいていると私は勝手に解釈している。
ボランティアの自覚。医師や看護師、その他の専門家はボランティアをどうとらえているのか。もちろん自発的なというところは一致していると思う。無報酬だが、活動に協力しているのだから、せめて食事代ぐらいはという短期ボランティアがいたそうだ。英語力は問われない。海外で医療活動をするには現地政府との覚書書(MOU)が必要であるが、全部団体がしてくれる。活動が維持されるように日本人や現地人スタッフが雇用されている。食住に対する心配をしなくて良い。このような環境を用意しようとすると、一般の寄付だけでは追いつかないということが、現状を知るほど想像できるようになる。「せめて食事代ぐらい」との気持ちを私も思った時もあったが、この恵まれた環境で1年間、理学療法士として、一人の人間としてボランティアをさせていただき、知れば知るほど、関わったすべての方々に感謝の気持ちしか出てこない自分がそこにいた。
事前説明会での短期ボランティアの医師の「お金を払ってでもボランティアをする価値があります」という言葉に、「そう思えるのは自分次第ですよ」と私は付け加えたい。十分に役に立つボランティアは、一朝一夕に生まれるものではない。ボランティアとしての育ちが必要であろう。ボランティアがいて活動が成立しているジャパンハートは、ボランティアの育ちがあって活動が維持されていくのだろうと思った。
とにかく、「感謝」の一言で1年間の活動を締めくくれたことに安堵している。終わりは始まりである。妻がクリスマスソングをピアノで奏でているのを横で聞きながら、明日からの職探しは、なぜか楽観的になってしまった。あとは“自分次第”である。
長期ボランティア理学療法士 石井隆